真実を演じる

良く言われることですが、
演技の上の真実とはなんでしょうか?

演じることで一番起こりがちで、実は一番演じることを退屈にしてしまうのは、
どこかで観た演技を演じてしまうことです。

私たちは子供の時からTVで演技を目にしています。
その支配力というのは恐ろしいくらい大きなものです。

「生まれて初めて俳優として演技をする姿」も何度か見て来ましたが、
それでも多くの場合、どこかで観た演技を演じてしまう場合がほとんどです。

ふと、三船敏郎さんのエピソードを思い出します。

面接官に「笑ってみてください」と言われ、
「おかしくもないのに笑う事はできません」と
答えた三船さんを見て、黒澤明監督は衝撃を受け、
「こいつは大物になる」と思われたそうです。

勿論、一つの喩えに過ぎませんが、とても含蓄のあるエピソードだと思いませんか?

でも同じことはもう使えません。
既に三船さんのエピソードとして有名ですから(笑)。

演じるという虚構の中で真実に取り組む姿勢について考える時、
演技を始めてしばらくして、箱根 彫刻の森美術館で出会ったあの言葉を思い出します。

私があの子供たちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子供たちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった。

- パブロ・ピカソ -

大人になるとより社会的な判断、知ってて当然ということが増えてきます。
この判断の上げ底のようなものは、ときに真実を曇らせます。

くどいようですがもう一つご紹介します。

子供は誰でも芸術家だ。
問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。

- パブロ・ピカソ -

演技トレーニング大抵大人
そして演じるのは大抵大人の役です。

ゆえに、
演じるということは、無意識に身につけたものを意識的に選択していく作業だったりします。
勿論、それによって新人の時に持っていた素直さを失ってしまうこともあります。
新人の時の方が良かったというケースはとても多いです。

しかし、ずっと新人のままでいることは出来ません。
知ってしまったことを忘れてしまうことは出来ないのです。

であれば、
得ながら、かつ手放していくということが大事です。

己を曇らせているものに耳を澄まし、目を凝らし、
そうして始めて役という乗り物越しに、見える真実があるのかもしれません。

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